予告編
「キャメラを持った男たち」ー関東大震災を撮るー 予告編
ドキュメンタリー映画(81分)演出:井上 実 企画・制作・配給;記録映画保存センター
映画評
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この映画は、アーカイブの力を感じさせる、すごいものになったと思いました。
有限なモノとしてのフィルムと人間の生命を、このようなアーカイブ活用によって未来に継承できる可能性についても考えさせられました。学生にも推薦します。
(大学教授) -
演出のアイディアや練られた構成、そして深い取材に感銘を受けました。
(番組プロデューサー) -
東日本大震災との結びつけから、映像制作者としての矜持や、メディアの果たすべき役割を改めて強く意識させられました。
(テレビ報道局ディレクター) -
面白かったです。とりわけ後半の撮影場所を特定していくところは資料的にも価値があると思います。倫理的にも芸術的にも深遠な問いを突きつけられた思いがしました。
(映画評論家) -
当時の映像は誰がいつどこで撮影されたか、オリジナル版はどれか、など歴史的にもジャーナリズムとしても、非常に価値のある問題提起でした。そして3人の方々の関係者をあたって人物像に迫った点も、見応えがありました。
(新聞記者) -
死臭漂う中に自らを置きながら「記録」という活動に携わることは、的確な構図を決めて目の前のイメージを効果的に捕らえる判断を下す客観性と、どこを切り取かを決める主観の選択も迫られる。男たちの頭の中で一瞬一瞬に選ばれて行った映像は、限りなく深淵な意味を問う。
(映画史研究者)
イントロダクション
関東大震災を撮ったキャメラマンとそのフィルムの物語
関東大震災 ―
倒壊した帝都東京を記録した映像が残されている。猛火に追われ大混乱のさなかにこの映像は誰が撮影したのか。音もない、モノクロームの記録フィルムが、世紀を越えて今、語り始める。
1923年9月1日午前11時58分。マグニチュード7.9の巨大地震が東京、神奈川を中心とする関東地方を襲った。激震は建物を倒壊させ、木造家屋が密集する地域は火災により焦土と化した。10万人を超える死者を出した関東大震災である。
当時、記録映画は〈出来ごと写真〉〈実況〉と呼ばれ速報性・真実性が追求される新しいメディアだった。キャメラマンたちはその担い手として被災地に向かった。
現在、手記や回顧録、遺族たちの証言などによって震災直後を撮影したキャメラマンは3人判明している。岩岡商會の岩岡巽。日活向島撮影所撮影技師の高坂利光。東京シネマ商會の白井茂だ。
3人は誰に命令されたわけでもなく、夢中で手回しキャメラをまわした。逃げさまよう避難者からは “こんな時に撮影してんのかよ!”という罵倒や暴力にもあった。映像からは惨状とともに、この災害を残さねばという彼らの強い使命感が伝わってくる。3人が撮影したフィルムは複製され、バラバラに構成されて全国の映画館や集会場で公開された。そのフィルムのいくつかは世紀を越えて現代に残り、デジタルアーカイブ化が行われている。アーカイブは、自然災害が多発する日本で生活する私たちに、被害のすさまじさを伝える記録として、今も生き続けているのだ。
重いキャメラと三脚を持って、キャメラマンは被災地をさまよいながら何をみたのか。撮ったものはどのような映像だったのか。そして残されたフィルムから何を知ることができるのか。
関東大震災を撮ったキャメラマンとそのフィルムが今、私たちに語りかけてくる。
3人のキャメラを持った男たち
岩岡 巽 いわおか・たつみ
1893–1955
明治~大正期の実業家・梅屋庄吉が設立した映画会社、M・パテー商會で撮影技師となる。その後岩岡商會を起業して皇室行事や大相撲の撮影のほか、報道撮影において高い評価を得ていた。地震発生時は商會のあった下谷区(台東区)根岸にいた。直ちに周辺を撮影し、人々の喧騒や迫りくる火災などの生々しい状況をフィルムにおさめた。震災後は社名を東京映画社に変えて、トーキー映画の製作にも手を広げるも、昭和の戦争にともなう戦時企業統合により消滅する。現存資料が乏しい記録映画史において発掘が待たれるキャメラマンである。
高坂利光 こうさか・としみつ
1904–1968
日活向島撮影所の撮影技師。名匠・溝口健二監督のデビュー作『愛に甦へる日』(1923年)の撮影を担当した。日活時代の撮影作品は現存していないが、退社後の作品に『轟沈 印度洋潜水艦作戦記録』(1944年)が残されている。戦後は主にニュース映画のキャメラマンとして活躍した。震災当日は劇映画を撮影していたが、助手の伊佐山三郎と共に被災地に急行。浅草、日本橋、銀座、日比谷を撮影。 9月4日に撮影済みのフィルムを抱え鉄道を乗り継いで、7日に日活京都撮影所で現像、その日の夕方に新京極帝国館で封切り上映。大きな話題となる。
白井 茂 しらい・しげる
1899–1984
日本の文化・記録映画界を代表するキャメラマン。松竹キネマ研究所、東京シネマ商會、日本映画社に所属しながら『南京―戦線後方記録映画』(1938年)、『信濃風土記より 小林一茶』(1941年・監督亀井文夫) など、記録映画史上重要な作品を撮影した。著作に『カメラと人生―白井茂回顧録―』がある。地震発生時は埼玉県熊谷にいて、9月2日からユニバーサルキャメラで撮影を開始。命がけで被災現場を奔走して、撮影を行った。撮影フィルムは文部省が買い取り、その後の復旧作業などの様子も撮影し『關東大震大火實況』(1923年)として同年10月に公開。
スタッフ
演出:井上 実
1965年名古屋市生まれ。前田勝弘プロデューサーが主宰する幻燈社に入り、その後、犬童一心、松川八洲雄監督等の演出助手を経て、1992年『NON』で初演出。以来、伝統文化記録、アーカイブ映像を活用した記録映画を手がける。
主な作品に
2021年「母の手仕事-日々の暮らしの記録-78分
2018年「いきつづける万国博-2018年 太陽の塔 内部公開-」24分
2016年「表現に力ありやー「水俣」プロデューサー、語る」 100分
2014年「鬼来迎-鬼と仏が生きる里-」37分
2009年「うつわに託す 大西勲のきゅう漆」35分
語り:土井美加 (女優)
劇団昴を経て舞台に多数出演するほか、声優としてアニメでは「超時空要塞マクロス」早瀬未沙、「るろうに剣心」高荷恵、「新世紀エヴァンゲリオン」リツコの母、「魔女の宅急便」ケットの母、洋画の吹き替えでは、ジュリア・ロバーツ、メグ・ライアン等ハリウッド映画の主人公たちを数多く担当している。また、番組ナレーターとしてNHK「アインシュタイン」、テレビ東京「日曜ビッグバラエティ」など。
製作:村山 英世
1944年 神奈川県生まれ。桜映画社社長として数多くの記録映画、文化映画をプロデュースする。桜映画社を退社後の2008年、記録映画フィルムの保存を目的に一般社団法人記録映画保存センターを設立。これまで一万缶以上のフィルムを国立映画アーカイブへ寄贈するとともに、上映会等の利活用も積極的に行う。また、保存活動の中で収集した映像を活用した映画を複数制作。今回制作した作品もその中のひとつ。
- 製作 村山英世
- 脚本・演出 井上実
- 演出助手 細矢知里
- 撮影 藤原千史:中井正義:今野聖輝
- 録音 西島房宏
- 照明 野本敏郎
- 音楽 清水健太郎
- グレーディング・DCP...村石誠
- 録音 黒澤道雄
- 語り 土井美加
- 書 小宮求茜
- 渡邉 登
- 国立映画アーカイブ技術職員
- とちぎあきら
- 国立映画アーカイブ特定研究員
- 小宮求茜
- 岩岡巽の孫
- 芦澤明子
- 映画撮影監督
- 高坂定男
- 高坂利光の息子
- 白井泰二
- 白井茂の息子
- 川畑省子
- 川畑キクの孫
- 田中傑
- 都市史・災害史研究家
- 柳田慎也
- テレビ岩手釜石支局カメラマン
- 国立映画アーカイブ
- 桜映画社
- 神戸映画資料館
- 日本大学芸術学部映画学科
- 東京消防庁 消防防災資料センター(消防博物館)
- テレビ岩手
- 都立横網町公園
- 安井喜雄
- 東京大学大学院情報学環
記録映画アーカイブプロジェクト
お問い合わせ
この映画に関するお問い合わせは、記録映画保存センターまでお願いいたします。
- URL:https://kirokueiga-hozon.jp/
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- 電話 : 03-3222-4249